
このコラムの構成
思い込みが民意になる
よく知らないことでも、「評価しますか?」「支持しますか?」と質問されると、「評価している」、 「ある程度支持している」といった感じで誰でも回答ができます。
思い込みや情報不足、先入観をもとに回答ができてしまいます。
これが世論調査の弱点です。
内閣支持率をはじめ、あらゆる場面で世論調査は行われています。
しかし、その回答者の知っていることのレベルは玉石混交です。
ある政策のこれまでの背景や経緯を知って、現在の状況を「ある程度評価」と回答することもできれば、まったく何も知らない状態で、なんとなく「評価しない」という回答もできます。
回答データは、回答者の認知レベルに関係なく同じように、民意として扱われます。感覚的な空気の状況を把握するには、世論調査は有効であるといえます。
しかし、データやファクトに基づく意思表示に世論調査は対応できません。
内閣支持率をはじめ、あらゆる場面で世論調査は行われています。
その回答者が知っていることのレベルは玉石混交です。
ある政策のこれまでの背景や経緯を知って現在の状況を「ある程度評価」と回答することもできれば、まったく何も知らない状態でなんとなく「評価しない」という回答もできます。
回答データは、回答者の認知レベルに関係なく同じように、民意として扱われます。
感覚的な空気の状況を把握するには、世論調査は有効です。しかし、データやファクトに基づく意思表示に世論調査は対応できません。
民意に応えるには良いこと?
「民意をよく捉えて政治を行うべき」というこの文章。
一見すると、良いことのように読めるのではないでしょうか。
世論調査で民意を捉えると、間違った結果となってしまうことは少なくありません。かつて、輿論と世論は別のものとして考えられていました。(図1)
輿論は、public opinion と訳され、よく考えた意思。
世論は、popular sentiment と訳され、大衆の感情。
発音は似ていますが、意味はまったくの別物です。
新聞、テレビもかつては、輿論を促すための存在でした。
(1957年 郵政省が「テレビジョン放送用周波数割当計画表」を発表した際、民放は、民放総合局と民放教育専門局の2局を構想)
読者、視聴者の教養を高めることがメディアの存在意義であるという建前は戦後しばらくはあったようですが、現在ではそのような気風は過去のものです。
視聴率やページ閲覧(PV)を求めるメディアと世論調査が社会のコミュニケーションの中心になると社会運営はどうなるか?
私達はこの状況に直面しています。
(図1)世論と輿論

民衆の感情は、スマホの普及とSNSによって、20世紀よりも過激に顕在化してしまうようになっています。
輿論としての意思表示ができれば
かって大日本帝国には「總力戰研究所」と呼ばれた国家総力戦のシミュレーションを行う機関がありました。
日米開戦を行った場合の帰結は「日本必敗」。これが、 1941年に総力戦研究所がデータに基づき導き出した結論であり、内閣への提言でした。
しかし、内閣はこの提言を受け止めることなく、開戦に進みます。結果、日本国内で約300万人以上が死亡、アジア圏では2000万人が死亡、日本は滅亡寸前まで追い詰められます。
昔の人は愚かだなぁと思いますが、21世紀に暮らす私達も、データ、ファクトに基づく議論、意思形成、合意形成を行えておらず、全く同じです。